History of Sasakawa Pharmacy

笹川薬局のあゆみ

薬は、健康を維持し、日々を楽しく過ごすためのもの
地域に根ざす薬局として、これまでも、これからも。

「薬局」として、歩みを進めてきたこれまで。
「笹川薬局があって、良かった!」
これからもそう呼ばれる存在であり続けたいと願っています。

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笹川薬局、これまでの68年

創業は1950年、
天六の小さな薬局から

これから、どうやって生きていこうか。

戦後間もない大阪駅のプラットフォームに立ち、創業者である父はそう考えていたそうです。当時、多くの人が同じ想いだったことでしょう。父は薬剤師の母と二人三脚で、一軒の小さな借家で薬局を開業しました。昭和25年2月、場所は当時の大淀区本庄川崎町、笹川薬局の第一歩です。

初めてのお客様は、風邪薬をつくって欲しいと来店されました。 すぐに調合しましたが代金を決められず、薬だけ手渡してそのまま帰っていただいたそうです。「最初の失敗だ」。先代は笑いながら思い出を語っていました。

品質を第一に

私は幼い頃から店の変遷を間近に見てきました。両親が創業した当時戦後の混乱期には粉ミルクに異物の混入した事件や睡眠薬による薬害など悲しい出来事も起きました。そんな時代背景の中でも笹川薬局はまず「品質」を最優先に、今も実践し続けています。

北摂へ展開

高度経済成長の新時代を迎えて、北摂の地へと笹川薬局の展開は広がります。1973年代オイルショックに伴うモノ不足の噂から起きたのが、「トイレットペーパー騒動」です。全国へと広がる発端となった千里ニュータウンで最初に行列ができた店の一つが私達の東町店でした。

朝、いつものように店のシャッターを開けると、特売品を求める人だかりが社員を驚かせました。歴史に刻まれるワンシーンも、笹川薬局は見届けてきました。

漢方薬調剤への挑戦

トイレットペーパー騒動の後、両親は挑戦を始めます。新しい国民皆保険制度で、漢方煎じ薬の調剤、いまのように漢方エキス剤が普及する以前です。原料である生薬一味々を理解し、保険適用と適応外を分けながら患者さんやお客様の自己負担分を軽減し、安心できる品質を安定的に供給しよう…。
やがて後に健康ブームや漢方人気が到来することになりました。

やりがいと喜び

薬が足りない、栄養バランスが取れていない。そんな「ない」ことにフォーカスが当たった時代が過ぎ、今度は「あり過ぎる」時代に入っていきます。多すぎる薬、薬漬け問題の始まりでもありました。

調剤を病院外の薬局にも任せる「医薬分業」制度も、大きな転機になりました。そんな中ある日、格調高い薬学ラテン語とドイツ語で書かれた処方箋を一人の患者さんが、封書で持参されました。中に担当医師からメモ書きのこんな一文が添えられていました。

「患者さんの薬への不安にきちんと説明してあげてください」
後日患者さんと薬の作用や疑問を理解していただいた出会いでした。笹川薬局にとっても、大きなやりがいであり喜びでしたし、この使命と達成感はいつの時代も変わらないでしょう。

過ぎたるも畏れもなく、
より良い薬を選べるように

「薬」とは、草を食して楽しくなることに源あり。

薬局としてのモットーを定め、店頭に掲げてお伝えするようになったのもこの頃です。薬をむやみに使う過量でもいけないし、必要以上に副作用を怖がったり畏れたりしてもいけない。そして、誰もがより良い薬を手にすることができる…。笹川薬局はずっとそう考え続けて、今日まで歩みを進めてきました。

「地味でもいい。医薬品は量よりも正しくて良いものを、供給できるようにしよう。」そう語りかけていた先代の想いを実践してきました。

これからの笹川薬局

地域とともに

大阪市内で産声を上げ、北摂の地で育ち続ける笹川薬局。これからは、さらに広く関西圏を見据えながら、地域に根ざす薬局でありたいと考えています。良質のサービス価値を生み出し地域での拠点がはっきりとわかり、患者さんもお客様にも信頼できる薬局の姿を形づくっていこうとしています。

確かなチームとともに

チーム力を発揮する。

どんな時も専門分野について答えられるメンバーが集まってチームを構成すれば、それは可能になります。医薬品や健康食品など多様な組み合わせも安全で最適な指導ができる薬局になる、ということです。 創業時もいまも、それは変わることのない笹川薬局の原点であり、これからも求められる存在意義だと思っています。

株式会社 笹川薬局
代表取締役社長 笹川悦子